乙字湯(おつじとう)の解説
乙字湯は、江戸時代の日本で、痔を治すためにつくられた漢方薬です。
症状のあまり激しくない、比較的軽度な痔に用いることができます。
キレ痔やイボ痔に対する効果や注意点について、生薬の構成から少し詳しく解説します。
配合される生薬のはたらきと特徴
構成生薬
乙字湯は、6つの生薬が配合されています。
原典は19世紀の『叢桂亭医事小言』(原南陽経験方)なのですが、現在おもに使われているのは、それを改良した『勿誤薬室方函口訣』の浅田宗伯によるものです。
もとの原典では、当帰が入っていなくて、代わりに大棗(タイソウ)と生姜(ショウキョウ)が配合されていました。
※エキス製剤はメーカーによって、甘草が多めのもの、大黄が少なめのもの等、分量に多少の違いがあります。
便秘がちな人に適する
まず乙字湯が、便秘傾向の人に使えるというのは、大黄と甘草が配合されているからです。
つまり便秘の漢方薬として有名な大黄甘草湯の要素が含まれているのです。
だから、乙字湯の注意点として、副作用で下痢をする可能性はあります。
しかしながら大黄は、瀉下剤(便秘薬)に分類する程の量は配合されておらず、大黄甘草湯に比べると、大黄の量は1/4程度です。
便秘をしているときにしか使えない、というわけではありません。
ただし胃腸虚弱な方は、下痢をすることもあるかもしれないので、念のため注意してください。
乙字湯は大柴胡湯に似ている
構成生薬をみて、柴胡と黄芩の組み合わせに注目すれば、柴胡剤というグループに分類できます。
乙字湯の原典では本来、当帰は配合されておらず、代わりに大棗・生姜が使われています。
ですので、もともとの乙字湯の構成は、柴胡・黄芩・甘草・升麻・大黄・大棗・生姜ということですが、
この構成は、柴胡剤である大柴胡湯とよく似ています。
乙字湯 =柴胡・黄芩・大黄・大棗・生姜・甘草・升麻
大柴胡湯=柴胡・黄芩・大黄・大棗・生姜・芍薬・半夏・枳実
「大柴胡湯」といえば、炎症の疾患に対してよく使われます。
柴胡剤の中でも、体力のある実証の人向きとして用いられる漢方薬です。
(市販薬では「コッコアポG」とか「ビスラットゴールド」といえばイメージしやすいかもしれませんが)
冷やす作用(内臓にこもった熱を引き降ろし、炎症を冷ます)の生薬中心に構成されています。
当帰の重要性
現在の「乙字湯」は、当帰が加えられているものが使われています。
しかも当帰の配合量がもっとも多くなっています。
当帰が多いというのが、この漢方薬のポイントです。
まず、当帰は温性の生薬です。
これによって、冷やす作用の強い「大柴胡湯」などにくらべると、寒熱のバランスがとれています。
体質にかかわらず、一般的に使いやすいかたちに整えられたことになります。
しかも、痔というのは、毛細血管の血液の停滞、血行障害があって腫れたりするわけで、血流改善の効果のある当帰は、とても理にかなっています。
さらに、当帰は、腸を潤します。
大黄との配合によって「排便時にいきむ」ということの回避にもつながります。
甘草の量も大事
炎症を抑えるためには、抗炎症作用をもつ甘草の量が多いほうがいいです。
甘草が入っていなければ乙字湯は効かないと言われることもあります。
もちろん甘草の過剰による副作用には注意が必要です。
ですが医療機関では、場合によっては、あえて甘草の量を増やすために芍薬甘草湯や麻杏甘石湯などを(頓服で)上乗せで処方されたりすることがあるかもしれません。
また潤性の甘草は、柴胡や黄芩などの燥性に対して、調和の役割もあります。
痔や脱肛を引き上げる
柴胡・升麻のペアは、補中益気湯にもみられる配合で知られますが、
内臓のゆるみ、内臓下垂など、下に落ちてくる臓器(この場合、痔や脱肛)を引き上げる作用があります。
升麻はまた(例えば辛夷清肺湯などにも使われますが)患部が腫れて、痛みや痒みがあるときに適した生薬です。
乙字湯の使い方
以上のような生薬のはたらきによって、乙字湯は、一般的な「痔」に広く用いられています。
乙字湯が効かない場合、
症状に応じて、補中益気湯や桂枝茯苓丸などが併用されることがあります。
桂枝茯苓丸は、駆瘀血作用です。血液がうっ滞している痔核、いわゆるイボ痔によく使われます。
補中益気湯は、乙字湯と共通である柴胡・升麻の昇提の作用と、補気効果を期待して、脱肛によく使われます。※昇提作用…垂れ下がってくる臓器を上に持ち上げる作用
外用薬の紫雲膏と併用するのも有効だといわれています。
その他⇒痔や痔出血に使われる漢方薬
副作用・注意点
鎮痛作用があり炎症を抑えるための甘草がやや多めに含まれます。他の漢方薬と併用するときは特に甘草の重複による副作用(偽アルドステロン症、低カリウムなど)の発現に注意が必要です。
胃腸をフォローする生薬がほとんど含まれませんので、お腹の弱い人は腹痛、胃部不快感、食欲不振、下痢などに注意してください。
どちらかというと体力のある人向きの漢方薬です。体力の著しく衰えている方、顔色の悪い方、冷えの強い方、出血が続いている方の痔には、乙字湯のみでは対応できません。
医療用エキス製剤においては、ツムラ製は大黄の配合が少ないです。下痢の心配がある人には使いやすいかもしれません。(効果の面では劣るかもしれませんが)
効能・適応症状
乙字湯の一般的な適応症状は↓のようなものです。
- 各種の痔疾患(切れ痔、イボ痔、痔核)、痔出血、肛門出血、脱肛
- 痔核の疼痛、便秘
- 女性の陰部の掻痒や疼痛、陰部湿疹
ただし、メーカーによって適応症にも違いがあるので念のためご確認ください。例えば、ツムラは「キレ痔・イボ痔」のみで、(大黄の量が少ないためか)「便秘」への適応はありません。
添付文書上の効能・効果
【ツムラ】
病状がそれほど激しくなく、体力が中位で衰弱していないものの次の諸症:
キレ痔、イボ痔
【クラシエ】【オースギ】他
大便がかたくて便秘傾向のあるものの次の諸症:
痔核 (いぼ痔)、きれ痔、便秘
【コタロー】
痔核、脱肛、肛門出血、痔疾の疼痛。
【三和】
便秘がちで局所に痛みがあり、時に少量の出血があるものの次の諸症
一般痔疾、痔核、脱肛、肛門出血、女子陰部そう痒症
【第2類医薬品】
生薬製剤ピーチラック 《乙字湯》 (漢方生薬研究所)
体力中等度以上で、大便がかたく、便秘傾向のあるものの次の諸症;痔核(いぼ痔)、きれ痔、便秘、軽度の脱肛
市販薬の乙字湯(の公式サイト)
- ツムラ漢方乙字湯エキス顆粒
- 乙字湯エキス錠クラシエ
- プリザ漢方内服薬(大正製薬)⇒製造終了しています
- 生薬製剤ピーチラック 《乙字湯》 (漢方生薬研究所)
いずれも乙字湯の製剤であり、効能に違いはありません。
成分量の違い
しかし、各社とも成人1日分あたりの、生薬の使用量(分量)に違いがあります。
医療用を1とした場合、
ツムラ⇒1/2量
クラシエ⇒3/5量
ピーチラック⇒2/3量
となっていますので、
ピーチラックが一番多い配合量で、つぎにクラシエ、少ないのがツムラです。
剤形と用法の違い
ツムラとピーチラックの乙字湯は、ともに顆粒タイプで、服用方法は1日2回。
クラシエは錠剤タイプで、服用方法は1日3回です。
乙字湯の名前の由来
さいごに余談として
乙字湯の「乙」は、最近は契約書とかでしか見かけませんが、甲・乙・丙などの「乙」です。
ということで、乙字湯があるならば甲字湯や丙字湯もあります(ありました)。
これらは江戸時代、戦に出る武士のために考えられた漢方薬であり、使用頻度の高いものから順に、甲・乙・丙・丁と付けられているそうです。
武士は、馬に乗ったり、お尻に力をいれたり、肛門を締め付け、痔になることが多かったのかもしれません。
ちなみに、「乙字湯」よりも順位の上の「甲字湯」ですが、
処方内容としては、「桂枝茯苓丸」に生姜・甘草が加わったものに相当します。
戦いによる打撲、打ち身、内出血などに重宝されていたようです。
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